MOTORCYCLE DIARY

のがたひろおのバイクな日記

アメリカのラダーレール



これならぼくにも簡単にバイクが積めそうです。
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ラジカル長野ツーリング

今日はラジカルツーリングの日。

諏訪まで高速で行って600kmぐらい走るらしかったんですが、今日は諸事情で行けないと言ったら「じゃあ、せめて談合坂まで見送りに来なよ」と言われて朝5:30に起きました。

談合坂手前で黄色いバイクが横に来ました。

のざでした。

のざはそのまますごい勢いですっ飛んでいきましたが、ぼくはVIPカーに行く手を阻まれました。

談合坂に着くとすでに闇金がいて、すぐに幸せ夫婦がやってきました。

ラジツー

ちょうど集合時間でしたが、肝心の内海さんがいません。

あとやもちん、オリカサさん、橋本が来る予定でしたが一向に現れません。

みんなでかわるがわる電話をするも、誰も出ません。

向かってる途中なのかな?という気持ちと、こりゃ来ないなという気持ち半々で待っていると闇金のところに内海さんから電話が来ました。

ラジツー

「え、中止だよ。雨降ったら中止って言ったじゃない。」

「いや、うちの方は止んでましたよ。」

続いてやもちんから。

「え?家ですよ。雨降ってるじゃないですか。」

「いや、こっちは降ってないよ。」

・・・ということで今日の長野ツーリングは中止。

ラジツー

とりあえず大月で下りてガストで朝食。

ラジツー

せっかく出てきたんだからちょっと回って行こうと、ラジツー改めのざツーとなりましたが、ぼくは諸事情で帰らなくてはいけないので、大月でみんなと別れて帰路につきました。

ゼッケン

昔はちょくちょく草レースやスポーツ走行に行ってたので、のがた号は普段からゼッケンを貼りっぱなしにしてました。

やっぱりゼッケンが貼ってあるとぐっとレーシーになるので、サーキットに行かなくなってもゼッケンは貼ってました。

旧のがた号

でも事故って今の姿になってからはゼッケンを貼っていません。

もう大人だから小僧みたいなことをしちゃいけないという訳ではなく、できあがってすぐにゼッケンを貼ってみたんですが、どうも上手くいかないんです。

一番の問題がこのシートカウルなんです。

都電

エア抜きのダクトとクイックファスナーが邪魔で、案外貼るスペースがないんです。

それからフロント。

隼のラインに合わせた縦長のスペースだと一桁のゼッケンじゃないとバランスが悪いんです。

ゼッケン

このぐらいならバランス的にもいいんですが、これだとレース用ヘッドライトカバーを外すと何だか分からなくなってしまいます。

フロントは一桁のほうがしっくりきますが、そうすると今度はリアがちょっと物足りないんです。

ゼッケン

そんな訳でゼッケンを貼らずにいるんですが、やっぱりレーシーが身上ののがた号ですからなんとかゼッケンを貼りたいんです。

まあとりあえずいろいろやってみるかと思ったんですが、買い置きのカッティングシートがもうなくなってしまって、わざわざ買ってきてまで・・・というところで頓挫してます。


なぜそこまで・・・

先日紹介したMTVのPinp My Rideを全話観て、アメリカのカスタム屋の凄さを思い知らされました。

あんなカスタム屋ができたらさぞかし楽しいでしょう。

でも何が凄いって言ったら、アメリカ人のテレビに対する思いでしょう。

天井にテレビ

天井に9つのモニター!

いったい何のために天井に・・・、しかも9つも・・・

室内にテレビ

巨大なバンの室内にテレビ6つのマルチプレックス・・・

ボンネットにテレビ

ボンネットにテレビ・・・

ドライブインシアターに行けばいいじゃないですか!

屋根にテレビ

屋根に巨大なテレビ・・・

トランクを開けると椅子になってるけど、家で観ればいいじゃないですか!

荷台にテレビ

トラックの荷台に巨大なテレビ、しかも3つも・・・

テレビを観るためにわざわざ荷台を立てられるようにしてます。

12mのテレビ

トランクから巨大なスクリーン・・・

ここまでくるとコメントのしようがありません。

さらに・・・

マッドフラップにテレビ

マッドフラップにテレビ

スノボーにテレビ

スノボーにテレビ・・・

くだらないことに全力を尽くすのがアメリカ人のいいところでもありますが、なんでそこまでテレビなんでしょう?

電子レンジ

でも車内に電子レンジはちょっと欲しいかも・・・


8月8日は隼まつり

鳥取県に隼ライダーが訪れる隼の聖地というのがあります。

若桜鉄道の隼駅です。

これはたぶん隼オーナーズクラブに寄せられた写真がきっかけだと思いますが、それから全国の隼ライダーが隼駅にやってくるようになったそうです。

この隼駅、廃線の危機にあったローカル線の無人駅だったのが、隼ライダーの訪問で町は活気を取り戻し、去年、第1回隼まつりが開催されたそうです。

隼まつり

隼まつり

隼まつり

なんとも心温まる話ですが、今年は8月8日に隼まつりが開催されるそうです。

そんなわけで、なんとなくこの隼まつりに行ってみたくなったんですが、鳥取県ってどこ?って感じで、なんと東京から片道750kmもあるじゃないですか。

高速代は休日1,000円、宿泊は町のご好意で小学校だかどこだかに無料で泊まれるらしいですが、ガソリン代に莫大な費用がかかります。

人口250人の小さな町で、町の人々と触れ合って心癒されたい気分ですが、どうしたものかと悩んでます。

Pimp My Ride

MTVにPimp My Rideという視聴者のボロボロの車を番組がカスタムカーに仕上げてくれるという番組があるんですが、これがけっこう観だすと止まりません。

こんなカスタム屋をやりたいなんて思ったりもしますが、それ以前に、なんでアメリカではこんなすさまじいボロ車が普通に走ってるんだろうと思ってしまいます。

MTV Pimp My Ride


クロモリアクスルシャフト

ラジカルから新製品が出たようで、ちょっと興味があるので紹介します。

アクスルシャフト

これはクロモリのアクスルシャフトなんですが、ずっしり重いそうです。

バネ下重量は減らしたほうがいいのに何で?と思うかもしれないですが、その辺がちょっと興味のある所なんです。

初めてマグホイールを入れた時、マシンの倒し込みや切り替えしが軽くなって驚きましたが、その代わりに安定感がなくなり、特に横風なんかにはめっぽう弱くなってしまいます。

ホイールやローターなどの回転物はジャイロ効果の関係で軽い方がいいですが、バネ下はある程度重いほうがいいのかもしれないです。

F-1でも同じ効果を狙って、サスペンションのアームを重くしてるという話もありますし。

重さで振動を相殺するマスダンパーという考え方があって、シトロエンの2CVなんて、バネに錘を付けてダンパーの代りにしているそうです。

でも今ひとつピンとこないので、ネットで調べてみるとミニ四駆の世界ではけっこう使われてるみたいです。



ミニ四駆ではバネ下じゃなくてバネ上に錘を付けるみたいなので、同じ効果が得られるかどうかはわかりませんが、考え方は同じ方向なのかなと思います。

ちなみに隼用(~07)もラインナップしてるので、興味のある方はどうぞ。

ラジカルのホームページ

MT-01

実はけっこう好きなんです、MT-01。



けっこうサーキットでもいけるとは知りませんでした。

またまた金運神社

最近土曜日は奥さんの仕事(家庭教師)の送り迎えであんまり出かけてませんが、今日は久々に仕事がないということでバイクで出かけることにしました。

で、金運神社経由でラジカルに行くことにしました。

天気も良くないし、予報では夕方に雨が降るみたいだし、でもまあ、運試しと思ってのがた号で出かけました。

甲州街道は例によって激混みで国立府中から中央道に乗ったんですが、空はだんだん晴れてきました。

富士山が見えるほどの晴天ではありませんでしたが、ホント、富士山のあたりって気持ちいいんです。

さすが霊峰と言われるだけあります。

金運神社までのワインディングも妙にスムーズに走れます。

お参りを済ませて、そのまま山中湖方面に向かい、今日は道志みちを通ってラジカルに向かうことにしました。

けっこう車が多かったんですが、ワインディングをそれなりに楽しく走れました。

最近、やることなすこと裏目に出てホントにいいことないんですが、そんな時でもバイクはやっぱり楽しくて、バイクに乗っててよかったな~なんて思ってしまいました。

これで金運神社のご利益があれば言うことないので、神様お願いします。

80年代バイクブーム 4

レーサーレプリカブームに押されて、アニキの時代のマシン達はすっかり影を潜めていましたが、80年代の終わり頃にいきなり蘇りました。

それがZなどの空冷四発ブームです。

Z1000

ある者は走り続け、またある者は先輩から代々マシンを受け継ぎ、最新バイクに負けないための改造を施し、第三京浜を走りのステージにしていた人たちに利用されていたのが保土ヶ谷PAです。

第三京浜1

第三京浜2

いつの間にか保土ヶ谷はカスタムマシンの聖地となり、土曜の夜はPAはバイクで埋め尽くされていました。

イエローコーン、ワークス、クラスフォー、MKミッドナイトなど有名どころのマシンも多く来ていて、改造の情報もあまりなかった頃ですから、ノギス持参でパーツの採寸をしている人も多く見られました。

しかし有名になるにつれて取り締まりも厳しくなり、もともと第三京浜を走りのステージとしていた人たちはレースに目を向けるようになりました。

それがドーバーやドラッグレースでした。

dobar

ドラッグ

その頃にはレーサーレプリカという言葉も死語となり、時代はZやCB、カタナなどの空冷四発全盛となっていました。

まだまだバブルの余韻で改造費500万円オーバーなどというマシンもざらにいて、カスタムショップにとってはうれしい時代だったと思います。

80年代バイクブーム 3

ぼくが高校の頃はバイクと言えば暴走族でした。

小学校の頃は向かいの家の塀にはスペクターとかブラックエンペラーとか
書かれていましたが、高校生時はたぶんもう全盛期は過ぎてたかもしれません。

でもまだみんな族に入りたかったし、女の子も暴走族の彼氏が欲しかった時代です。

バリバリ伝説のあいちゃんもハイティーンブギ(・・・とは言ってませんでしたが)のような恋がしたくて郡に声をかけてきました。

ハイティーンブギ
ハイティーンブギ

バイク=暴走族と言われていましたが、実際、バイクと言えば暴走族だったかもしれません。

その頃、族車はすでに三段シートに三連ホーンでしたが、それより前、いわゆるアニキの時代の暴走族はもう少し違ったものでした。

原宿には岩城滉一や舘ひろしのCOOLSがいて、

cools

うちの地元だとモデルガン屋の隣の喫茶店にZODIACが集まってて、横浜に行くとケンタウロスがいて・・・

そういう人たちに憧れて暴走族が増えていったんだと思います。

暴走族

ところが段々と暴走族が独自の進化を遂げ、万人にかっこいいと思える存在ではなくなってしまいました。

そんな時にエポックメイキングな一台のマシンが登場しました。

RZ350

RZ350です。

アニキの時代の象徴だったナナハンを追い回す「ナナハンキラー」の登場です。

RZの登場がアニキの時代に区切りを付けて、やがて来るレプリカブーム、F-Ⅲブームに向かわせたような気がします。

80年代バイクブーム 2

一般的には80年代のバイクブームは宮城光が作ったという説があります。

宮城光

ズバ抜けた速さと甘いマスクでサーキットに女性ファンを呼んだと言われています。

宮城光

まあ確かに当時の宮城選手の人気はすごかったみたいですけど、そうなると平忠彦はどうなるんだということになります。

ちょっと若い女性には濃すぎるかもしれませんが、平選手だってめちゃくちゃイケメンです。

平忠彦

しかも汚れた英雄です。

汚れた英雄

たしかに宮城選手はバイクブームの真っ只中にいましたが、彼がブームを作ったわけではありません。

では何がバイクブームを作ったんでしょう?

バリバリ伝説

バリバリ伝説?

確かに15分のスポーツ走行券を買うのに徹夜して並ばなければいけない状況を作り、F-Ⅲブーム、4耐ブームを作ったのはこの漫画かもしれません。

しかしバリバリ伝説は流れをサーキットに向けさせただけで、本流はもっと前からありました。

その鍵を握るのが、当時少年マガジンでバリバリ伝説と2トップだったあいつとララバイです。

あいつとララバイ

主人公の研二は走りのステージを峠や首都高に変えていきましたが、もともとはバイクに乗った不良少年で、暴走族の抗争にも関わったりもしていました。

研二がたどってきた道と同じように、実はバイクブームに至る重要な存在は暴走族なのです。



80年代バイクブーム 1

先日たまたま上野を通りがかったら、昔はバイク街と言われた上野もすっかり様変わりしていました。

昔は昭和通り沿いにはバイク屋がひしめきあって、土日なんて路上も歩道もバイク1台停めるスペースを探すのもひと苦労だったのに、今ではバイク屋もまばらでシャッターが降りてる店も目立ちます。

光輪
最近の上野

最近、バイク屋さんや業界関係者が「あのバイクブームは何だったんだろう?」と遠い目をしてつぶやくのをよく聞きますが、今ではバイクブームがあったことすら知らないライダーも多いと思います。

光輪
昔の上野

ぼくは83年から89年までアメリカに行ってしまったので、一番熱かった時代は日本にいませんでしたが、当時はレーサーレプリカブームの真っ只中で、街中でも皮ツナギを着て、交差点でもハングオンというライダーが多かったと聞きます。

交差点はサーキットのスターティンググリッドのようで、信号が青に変わるとレーサーよろしく、みんな片足をステップにのせないまま全開で走り出していました。

ぼくの唯一の情報源だった1ヶ月遅れの月刊オートバイには、街中でハングオンしたり足を出したままスタートダッシュするのはカッコ悪いからやめよう!なんて書いてありましたが、実際、ぼくもまわりは当然誰もやっていないですが、アメリカで真似してやってました。

とにかく当時はバイク人口が多かったから、街中そこかしこにバイク屋があって、今では絶対経営が成り立たないであろうヘルメット専門店やステッカー専門店などもありました。

いったいあのバイクブームはどこから来たのでしょうか?